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Ruby on Rails 3 アプリケーションプログラミング


  • 6章
    • 6-2レスポンスの操作

から

  • 8章
    • 8-3Unitテスト

まで

フレームワークユニットテストが盛り込まれているのは、テストをやろうとするくらいであればやっぱり便利なんだろうな。最初からついている強みとでも言うのであろうか。



あ、あとひょんな友達との会話の中で出てきた坂の上の坂をこれから読み進めて行こうと思っております。

4/4

Ruby on Rails 3 アプリケーションプログラミング

  • コントローラ開発へ

ここら辺のフレームワークを見ていると、いままで自分がPHPで関わってきたフレームワームの設計がこの辺を参考にしているのかと思ったりする。リクエストパラメータの受け方などは特に。

4/2

アジャイルサムライ読了

  • 10章〜15章

そういえば、ちゃんと自動テストとかTDDについてしっかり理解というか、意識して知識として取り入れたことはないな。関連図書として、テスト駆動開発とレガシーコード改善ガイドをこの際読もうか。

自動テスト・・・自動ビルドは極力入れたいという、普通の感想だけど、本当にそうだね。。

どうしてこうなった

どうしてこうなった

あるエンジニアを紹介。
以下、「自分」と表記している。

  • 31歳おとこ。
  • webエンジニア
  • 現在の家族は妻一人、結婚5年め

現在、適応障害により自宅療養中。
正直まさかその人がこうなってしまうとは・・・
思っていなかった、全然。。

こうなってしまったきっかけは何だったのか。
決定的な何か出来事はない、まぁ思い出せない。
休む直前は、すぐ頭が真っ白になってしまうような感じがあった。
普通に会話するのも、すぐに言葉が出ないような感じだった。
会話できたとしても、何で自分なそんなことしか言えないんかと思う始末。

多分そんなのを気づかれるのも嫌なのでかなり踏ん張ってた。
だけどダメだった。
ダメだと思ったら、あっという間にフラグがたった。



webアプリの開発で、当初からそれなりに名のあるサイトの開発に携わっていた。チームに参加して大体4年くらい。
自分ははっきり言ってできる方のエンジニアではない。
プログラミングスキルも高くない。

いままでそれをどうやってカバーしてきたか。。

「気持ちでカバーしてきたwwwwwwwww」
冗談ではない。

できるエンジニアでメンバーは固められている。
メンバーに対しては本当に尊敬している。

たとえば、できるエンジニアは
短い工期であっても高いレベルのものをアウトプットする(だろうと思う)。

自分は中学からサッカーをやっており、いまでのたまにやるくらいなので
体力はそれなりにある。(当社比)
そして、一度した約束はまもろうとする人間。
そして、人からのお願いは断れない人間。

そんな自分が選んだのは
時間かけてでもやるということだった。

結果どうなったか。

まぁ帰りは自然と遅くなった。
寝る時間は短くなった。
さっきも書いたが体力は多分それなりにあったので
まぁなんとか、やってこれた。
嫁の理解や協力があったので、
不規則になっても、本格的に体調を崩したことはなかった。

それなりの成果みたいなものを出していたし。
無理もお願いすればやってくれる人、みたいな評価もあったんじゃないかな?
(はい、驕りですね。わかります。。)
携わってきたサービスは、まぁ順調に成長してきた。
非常に喜ばしいことです。
自分もここまで食べてこれました。
そういう意味では家族を不安にさせるようなことはなかったでしょうw
ここまではよい。

無理なことをできないエンジニアが無理をしてやるとどうなったか。
やっぱりサービスとしてヨイものをリリースできたと自身を持って言えるか?
バグは出してしまったし、パフォーマンス面でユーザが苦を強いられていないか?
実際には自分自身無理してたんでは?
表にだしてなかったがストレスもかなりあったんじゃないか?

・・・・・・・・・・。

開発体制は拡大に拡大を重ねる。
無理して作った実装の運用保守のコストはバカにならない。
(それをどうやらカルマと呼ぶらしい。汚れた手と手で触って形が分かるとか。)
開発チームで自分は徐々に役割も変わって行った。
増えていくメンバーへの橋渡ししなければならない立場だった。

それでも無理して作ったものを改善しようという気持ちはあった。
ただ・・・自分にはできなかった。
気持ちが無かったわけではないと思うが。
ここまで積み重なってきたいろんなのを踏まえて
進むことはできなかった。

ボカしてしまうけど、、
それだけいろんな思いやストレスや葛藤があったから。
それはそういうこと。

自分がここまでやってきたこと。
たぶんwebエンジニアとしては、よくないことだった。
(とアジャイルサムライを読んでいて、思う。)

なんかうまく説明できていないけど。
大体そんな感じ。

補足:
ここでサービスは企画内容云々や運営云々というよりは、
システムとしてユーザに提供されているものをさしています。
企画や運営のメンバーもできるメンバーだし、尊敬しています。

全体的にぼやっとしたことを書いたけど、
もっとポイントになった出来事はあるので、
また今度書く。

どうしてこうなった2

どうしてこうなった - 無職?エンジニア?の日々からの続き

2010年くらいから自分の成果、パフォーマンス、思想に疑問を持つようになった。
周辺の環境も変化していくなか、
自分が変化できていないこと。
思うような成果を残せないこと。
新しいメンバーへ不便を強いていること。
だんだん辛くなって来ていた。

2011年3月の震災も相まって、
疑問は仕事だけのものから、生活とか人生のものになった。
自分の成果と、目指すもの。
仕事にフォーカスをあてたものと、人生にあてたもの。
すべてがバラバラだったと思う。

夏から秋口にかけて一度目の失調のピークになる。

2011年10月と11月。
短期だが、ずっと所属していたチームから離れる機会があった。
某チームにサポートメンバーで入ることになった。
さいしょは非常に不安だった。

不安は的中したのは的中した。
ちょっと大げさな表現だが、すべてが新しかった。
同じだったのは、ファミリーブランドwebサービスをつくることだけだった。

それまではやってなかったVM(Ubuntu)で開発環境を作る。
利用する言語は一緒だったが、バージョンが新しい。
かつ新しいバージョンでの機能を取り入れたフレームワーク
テストコーディングの習慣。
migrationによるスキーマ管理。
社内初利用のwebサーバで実運用。
他にもいろいろ・・

とにかく積極的に新しいものを取り入れているチームだった。
まったくの新規サービスの開発チームだったからできることだったとは思う。
それでも元のチームに戻ってやれたらいいなと思ったトピックもたくさんあった。

#もしかしたら、新しいものを取り入れたことによって
#「実はシクったのだよ」ってこともあると思うけどね。
#新しい技術検証において発生した問題が
#新しい技術を適用したことによるかどうかというのは
#すぐ分からないと思うし。

とにイカく非常に刺激的なチームだった。
3年くらい時間が進んだんじゃないかと思うほど。
エロんな、あ、いやいろんな意味で。
不安だったが、こちらもメンバーに恵まれた。
#弊社なので手取り足取り教えます類ではない。

今思えばエンジニアであることをここで再認識したんだろうな。
10月11月の期間は元所属からも仕事が入らないようにしてもらってたし。
だいぶ参っていた状況はだいぶ改善されていた気がする。

そのあと、いまに至るまで。

上記の経験は、余計に自分の理想と現状のギャップを感じてしまったのかも。
加えて迫っていた大型リリースなどもあった。
自分はダメなんだな、と思うことがどんどん増えて行った。
徐々に再発というか、秋口くらいの気持ちに戻ってしまった感じ。

2月ごろは特に仕事上では、つねに混乱していたとおもう。
判断の数々も正しくはできなくなっていたんじゃないかなと。。

いろいろと書き連ねてみたが、なんかうまく書けていないなw

3/29

夜にならないと、やる気が出ないのは如何に。。。

まぁ仕事やっててもそうだろうけどね




migrationの項をみてやっていたんですが、self:up , self:downで説明がかかれているが、作られた環境がrailsバージョン3.1なので、ちょっと調べて見たら、生成されたmigrationファイルどおりchangeメソッドに統一でいいようだね。

Rails 3.1 の migration の変更点について - おもしろwebサービス開発日記


しかし便利。いままで使っていなかったのはありえないよな。。ありえないけど、チューニングの一環で環境ごとにちょっとずつスキーマを変更するようなものを作っていたりしたので、migrationとの相性がよくなかったという面は一理ある。

3/28

今日は立て続けに、産業医との面談、人事に相談、主治医検診。
これから現場復帰に向けて進めていくことになりました。
生活リズムはこれからも崩さず復帰まで持っていきたい。
なるべくこちらの希望が通るように、調整もしていきます。

しかしこういうときのガイドラインなんてものがあったとは・・
一人一人事情はきっと違うんだろうし、会社によっても事情は異なる。
そんな枠には当てはめてほしくはないですね。