どうしてこうなった

どうしてこうなった

あるエンジニアを紹介。
以下、「自分」と表記している。

  • 31歳おとこ。
  • webエンジニア
  • 現在の家族は妻一人、結婚5年め

現在、適応障害により自宅療養中。
正直まさかその人がこうなってしまうとは・・・
思っていなかった、全然。。

こうなってしまったきっかけは何だったのか。
決定的な何か出来事はない、まぁ思い出せない。
休む直前は、すぐ頭が真っ白になってしまうような感じがあった。
普通に会話するのも、すぐに言葉が出ないような感じだった。
会話できたとしても、何で自分なそんなことしか言えないんかと思う始末。

多分そんなのを気づかれるのも嫌なのでかなり踏ん張ってた。
だけどダメだった。
ダメだと思ったら、あっという間にフラグがたった。



webアプリの開発で、当初からそれなりに名のあるサイトの開発に携わっていた。チームに参加して大体4年くらい。
自分ははっきり言ってできる方のエンジニアではない。
プログラミングスキルも高くない。

いままでそれをどうやってカバーしてきたか。。

「気持ちでカバーしてきたwwwwwwwww」
冗談ではない。

できるエンジニアでメンバーは固められている。
メンバーに対しては本当に尊敬している。

たとえば、できるエンジニアは
短い工期であっても高いレベルのものをアウトプットする(だろうと思う)。

自分は中学からサッカーをやっており、いまでのたまにやるくらいなので
体力はそれなりにある。(当社比)
そして、一度した約束はまもろうとする人間。
そして、人からのお願いは断れない人間。

そんな自分が選んだのは
時間かけてでもやるということだった。

結果どうなったか。

まぁ帰りは自然と遅くなった。
寝る時間は短くなった。
さっきも書いたが体力は多分それなりにあったので
まぁなんとか、やってこれた。
嫁の理解や協力があったので、
不規則になっても、本格的に体調を崩したことはなかった。

それなりの成果みたいなものを出していたし。
無理もお願いすればやってくれる人、みたいな評価もあったんじゃないかな?
(はい、驕りですね。わかります。。)
携わってきたサービスは、まぁ順調に成長してきた。
非常に喜ばしいことです。
自分もここまで食べてこれました。
そういう意味では家族を不安にさせるようなことはなかったでしょうw
ここまではよい。

無理なことをできないエンジニアが無理をしてやるとどうなったか。
やっぱりサービスとしてヨイものをリリースできたと自身を持って言えるか?
バグは出してしまったし、パフォーマンス面でユーザが苦を強いられていないか?
実際には自分自身無理してたんでは?
表にだしてなかったがストレスもかなりあったんじゃないか?

・・・・・・・・・・。

開発体制は拡大に拡大を重ねる。
無理して作った実装の運用保守のコストはバカにならない。
(それをどうやらカルマと呼ぶらしい。汚れた手と手で触って形が分かるとか。)
開発チームで自分は徐々に役割も変わって行った。
増えていくメンバーへの橋渡ししなければならない立場だった。

それでも無理して作ったものを改善しようという気持ちはあった。
ただ・・・自分にはできなかった。
気持ちが無かったわけではないと思うが。
ここまで積み重なってきたいろんなのを踏まえて
進むことはできなかった。

ボカしてしまうけど、、
それだけいろんな思いやストレスや葛藤があったから。
それはそういうこと。

自分がここまでやってきたこと。
たぶんwebエンジニアとしては、よくないことだった。
(とアジャイルサムライを読んでいて、思う。)

なんかうまく説明できていないけど。
大体そんな感じ。

補足:
ここでサービスは企画内容云々や運営云々というよりは、
システムとしてユーザに提供されているものをさしています。
企画や運営のメンバーもできるメンバーだし、尊敬しています。

全体的にぼやっとしたことを書いたけど、
もっとポイントになった出来事はあるので、
また今度書く。